レバノン共和国は、中東の東はシリア、南はイスラエル・パレスチナの隣にある岐阜県ほどの面積の小さな国ですが、4人に1人が難民という状況(UNHCR,2017)となっています。レバノンに住むパレスチナ難民(約47万人)は、71年間、国籍や市民権、財産権がなく、職業や移動が制限される中で生活しており、「忘れ去られた難民」とも言われています。想像できるでしょうか?
私は現在、首都ベイルートから車で1時間ほどのサイダ市内にある、パレスチナ赤新月社(以下パ赤)ハムシャリ病院(二次救急病院)で働いています。主な活動は①トリアージの導入、②外傷診療コースの実施、③多数傷病者受け入れ計画、などです。日本と異なる時間感覚、特にラマダン(5-6月の断食月) では活動は思うように進みません。パレスチナ文化と複雑な病院の全体像、忙しい病院業務、共に働くパ赤スタッフ…。これらを理解しながら、講義や会議、OJTなど多岐にわたる活動を進めることは容易でなく、振り返るとすでに早3ヶ月。半分を過ぎた派遣期間に焦り、パ赤チームとの関係構築と活動進捗に葛藤と不安を感じているのが正直な心境です。そんな自分に、光が差した2つの出来事がありました。
1つ目は夜勤の際の出来事です。その夜サイダ市内で車30台が絡む交通事故が発生し、ハムシャリ病院に10名近くの傷病者が搬送されました。日赤チーム(医師・看護師)もパ赤スタッフと、必死で診療にあたりました。不思議と最低限の会話で医療者同士理解し、協力できました。『医療に国境なし』という言葉のように、パ赤スタッフと一人ひとりの患者を守るために看護する。自分の原点を思い返させてくれた経験でした。
2つ目は、広報活動の一環で、ワリッド救急部長に、お話を聞いた際のことです。「日赤は今までの支援団体とは違う。患者を一緒に見て動く。そういう姿勢をスタッフは幸福に感じている。」この言葉を聞き、込み上げるものがありました。戸惑い、ためらいながらも、これだけはと心がけてきた、一緒に働く姿勢は間違っていなかったと、救われた気持ちでした。そして彼はこう続けました。 「スタッフと共に、ここで暮らすパレスチナ難民のため、最高の医療を提供する救急外来を作りたい。」彼らは難民としての厳しい生活・就労環境でも、患者さんの命を守るため、良い医療を提供したいという向上心があり、同じ医療者として頭が下がります。日赤チーム一同、彼らを尊敬する気持ちを大切にし、彼らの描く理想の救急外来に近づくため、現場で一緒に働いていきたいです。
残りの期間もパレスチナの人々のため、「救うことを、つづける」ため、全力で駆け抜けます。
看護師 秋田 英登 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |