派遣期間 | 災害名・派遣先 | 派遣救護班 |
令和2年7月10日 ~令和2年7月15日 |
令和2年7月豪雨災害 熊本県球磨村ほか |
日本DMATロジスティックチーム(2名) |
令和元年10月15日 ~令和元年10月23日 |
令和元年東日本台風 長野県長野市(千曲川流域) |
災害医療コーディネートチーム(1チーム4名) 救護班(1班6名) |
平成30年7月13日 ~平成30年8月4日 |
平成30年7月豪雨災害 広島県呉市 |
災害医療コーディネートチーム(2チーム延べ7名) 救護班(1班7名) こころのケアチーム(1チーム4名) 業務調整員(2名) |
平成30年6月19日 | 平成30年大阪府北部地震 日本赤十字社大阪府支部 |
業務調整員(2名) |
平成28年5月24日 ~5月28日 |
伊勢志摩サミット 町立南伊勢病院 |
救護・災害班 |
平成28年4月16日 ~6月4日 |
熊本地震 熊本県熊本赤十字病院他 |
救護班、病院支援他 (延39人) |
平成26年9月29日 ~10月1日 |
御嶽山噴火災害 長野県木曽町 |
1個班 (延6人) |
平成26年9月3日 | 東海市新日本製鉄溶解炉爆発 愛知県東海市 |
1個班 (延5人) |
平成23年3月11日 ~8月17日 |
東日本大震災 宮城県石巻市石巻赤十字病院他 |
救護班、 病院支援他 (延230人) |
平成20年9月1日 ~3日 |
岡崎市集中豪雨 愛知県岡崎市 |
1個班 (延3人) |
平成19年7月16日 ~20日 |
新潟県中越沖地震 新潟県柏崎市 |
1個班 (延8人) |
平成19年3月27日 ~4月11日 |
能登半島地震 石川県輪島市 |
3個班 (延18人) |
平成16年10月27日~28日 11月2日~4日 |
新潟県中越地震 新潟県小千谷市 |
2個班 (延12人) |
平成16年7月27日 ~28日 |
福井豪雨災害 福井市 |
1個班 (延10人) |
平成12年(9日間) | 東海豪雨災害 西枇杷島町 |
9個班 (延50人) |
平成12年(4日間) | 有珠山噴火災害 北海道伊達市、 虻田町、 洞爺 |
1個班 (延24人) |
平成7年(12日間) | 阪神・淡路大震災 神戸市 |
4個班 (延72人) |
平成6年(2日間) | 中華航空機事故 名古屋空港 |
4個班 (延38人) |
昭和51年(4日間) | 台風17号豪雨災害 海部郡佐織町 |
4個班 (延14人) |
昭和47年(6日間) | 奥三河集中豪雨災害 西加茂郡小原村 |
2個班 (延33人) |
昭和34年(約3ヶ月間) | 伊勢湾台風災害 名古屋市港区、 飛鳥村、 十四山村 |
43個班 |
昭和28年(14日間) | 台風13号災害幡豆郡吉田町 | 3個班 (延56人) |
昭和28年9月25日愛知県地方を襲った13号台風は、県下に大きな被害をもたらしたが、特に碧南市、幡豆郡一色町、吉田町方面、半田市、知多郡方面の被害は甚大であった。愛知県支部では約1か月間にわたって、98個班の救護班を派遣し、6,573人の患者を取扱った。当院は幡豆郡吉田町方面を担当し、14日間にわたり、14個班、医師、看護婦、主事、延56人を派遣し、罹災者の救護を行った。当時派遣された救護班は、次のとおりであった。
《台風13号災害派遣救護班》
班別 | 派遣期間 | 医 師 | 看護師 | 主事 |
第1班 | 10/10~10/15 6日間 |
廣瀬久雄 | 竹中隆子 ・ 位高悦子 | 神谷幸一 |
第2班 | 10/16~10/20 5日間 |
村山尚子 | 高木なつ ・ 沓名信子 | 松田鉄男 |
第3班 | 10/26~10/28 3日間 |
廣瀬久雄 | 井上春子 ・ 早川かず江 | 松田鉄男 |
計 | 14日間 | 延14人(実3人) | 延28人(実6人) | 延14人(実3人) |
※ 延56人
昭和34年9月26日東海地方を襲った伊勢湾台風は、我が国災害史上まれにみるもので、最大風速45.7メートル、最高潮位3.98メートルに達した。そのため海岸堤防、河川堤防の決壊及び高潮による被害は著しく、特に名古屋市南区、港区、中川区、熱田区方面を初め、海部郡十四山村、飛島村、蟹江町、津島市方面、さらに半田市、碧南市、西尾市方面の被害は甚大であった。県下の死者3,035人、全壊家屋28,300世帯、床上浸水56,180世帯、1か月以上の浸水家屋14,390世帯に達し、海部郡南部では3か月間も浸水すると言う悲惨な状況であった。愛知県支部では、名古屋第一赤十字病院及び当院の救護班を総動員するとともに、本社に対し他府県支部の救護班を要請した。
孤立した水没地帯の救助に向かう日赤救護班 | 屋根上の患者を救助する日赤救護班 |
その結果、本社救護班、東京、神奈川、埼玉、静岡、福井、富山、滋賀、京都、大阪、広島など10府県支部の救護班が続々と応援に来県し、さらに自衛隊救護班も加わり、毎日20個班もの救護班が出動した。こうして赤十字救護班は、約3か月間にわたり延626班が出動し、33,900人の患者を診察した。
薬品や食糧はいかだで運ばれた (中日新聞社提供) |
水没地帯を避難する罹災者 (中日新聞社提供) |
日本列島を襲い、ゲリラ豪雨と呼ばれた集中豪雨は、昭和47年7月12日夜半から愛知県内に大きな被害をもたらした。豊田市をはじめ、西加茂郡藤岡村、小原村、東加茂郡足助町、旭町の1市4か町村の被害は甚大であった。日赤愛知県支部では13日早朝、直ちに救護班を派遣したが、道路寸断で交通が途絶していたため、自衛隊のヘリコプターにより夕方ようやく到着、直ちに救護活動を開始した。以降11日間に6個班を派遣し、195人を救護した。当院からは次の2個班を3日間ずつ延6日間派遣した。
《昭和47年7月集中豪雨災害派遣救護班》
派遣期間 | 派遣先 | 医 師 | 看護婦長 | 看護婦 |
7/15~7/17 3日間 |
西加茂郡 小原村 |
古川博通 | 上田豊子 | 三輪笑子/川上孝子 佐久間清美/堀川美子 |
昭和51年9月台風17号による豪雨災害では、尾張部の海部、知多郡方面で、中小河川が氾濫し、海部郡佐織町では一週間近くも浸水が続いた。日赤愛知県支部では11個班の救護班を派遣したが、そのうち当院からは、次の4個班を派遣した。
《台風17号災害派遣救護班》
月日 | 派遣先 | 医 師 | 看護婦 | 主 事 |
9/14 | 海部郡 佐織町 体育館 |
杉浦純一 | 伊藤はつ子/加藤智也子 | 中井英男 |
9/17 | 西脇知善 | 斉藤幸子/野部知恵 | 奥村執 | |
9/19 | 山川隆司 | 長谷川しづ子 | 服部育男 | |
9/22 | 戸谷康信 | 有馬トシ子/畑万亀子 |
平成6年4月26日20時16分頃、愛知県豊山町の名古屋空港滑走路南側で、台北発の乗員乗客計271人を乗せた中華航空140便エアバスジェット旅客機が、着陸に失敗、爆発炎上する事故が発生した。20時50分頃日赤愛知県支部より救護班1個班の編成、待機者の要請がなされた。救護班1個班が出動した後、病院では、医師20人、看護婦10人、主事43人が現地からの詳しい情報収集のため、またすでに出動している班の交替要員として待機した。最終的には当院から救護班4個班37人が名古屋空港に派遣された。この事故による犠牲者は364人、負傷者は7人であった。
救護班 | 月日 | 医 師 | 看護婦長 | 看護婦 | 主事 |
第1班 | 4/26 | 須崎法幸 | 伊藤はつ子 | 片桐香奈子/鷲見美帆 | 小林俊之 黒木信之 |
第2班 | 4/27 | 村田透 | 杉浦稜子 | 片岡笑美子/長谷川かおる/安江郁子 | 水野純一 |
第3班 | 4/27 | 大塚吾郎 | 太田有美/串間美雪/峰松洋子/市川貴美/加藤佐江/高田恵子/加藤真由美/三品夕美子/白羽祐子 | 桜井誠 森健 |
|
第4班 | 4/27 | 長坂隆治 | 古城敦子/赤塚あさ子/前田恵美子/針山公一/千田礼子/杉浦かずみ/堀憲子/渕上春美/松平淳子 | 大川時政 |
阪神・淡路大震災
平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北部、深さ20キロを震源とするマグニチュード7.2の直下型地震は兵庫県南部を中心に甚大な被害をもたらした。夜明けとともにその凄惨な光景が姿をあらわし、特に大都市神戸は、街はがれきの山と化し、ビルは崩れ落ち高架道路は横倒しとなった。各地で火の手が上がり、炎と黒煙が街を包んだ。 生活基盤は壊滅し、交通ライフラインも寸断された。報道される被害状況は刻々とその数を増した。 日本赤十字社では、地震発生後直ちに救護活動を組織をあげて展開した。発災後、各支部から医療救護班が兵庫県支部に集結し、神戸市内避難所や路上で傷病者の手当てにあたった。また淡路島においても同様の活動を行った。
臨時救護所を開設 | 4階部分が壊れたビル | 救急車内で診療活動 |
当院も医療救護班4個班を神戸市内へ、診療応援のため看護婦2名、臨床検査技師3名を神戸赤十字病院へ派遣した。また、2月17日には「心の相談電話」が開設された。
《救護班派遣状況》
期 間 | 医 師 | 看護婦長 | 看護婦 | 主 事 |
1/18~1/20 | 谷合 央 | 赤塚あさ子 | 大野真由美/渕上晴美 | 箕浦伸一/森 健 |
1/20~1/22 | 石川 清 | 梅崎愛子 | 杉浦かずみ/下村留美 | 池上健二/中内利彦 |
1/23~1/25 | 宮坂和良 | 加藤洋子 | 石川佳世子/小瀬裕美子 | 須賀 猛/大渕 清 |
2/20~2/22 | 伊藤信二 | 寺西美佐絵 | 反中玲子/小池真由美 | 鈴木信行/森 健 |
《診療応援派遣状況》
期 間 | 職 種 | 氏 名 | 診療応援先 |
1/24 ~ 1/31 | 臨床検査技師 | 由良 哲雄 | 神戸赤十字病院 |
2/1 ~ 2/7 | 臨床検査技師 | 伊藤 守 | 神戸赤十字病院 |
2/8 ~ 2/10 | 臨床検査技師 | 柴田 一泰 | 神戸赤十字病院 |
2/8 ~ 2/14 | 看護婦 | 堀憲子/小泉照代 | 神戸赤十字病院 |
有珠山噴火災害
日本赤十字社愛知県支部からの要請を受け、北海道有珠山噴火活動による医療救護活動のため当院から救護班1個班を現地に派遣した。派遣された救護班は、平成12年6月11日早朝名古屋を出発し、同日現地入りし、前任の救護班(岐阜県支部班)から申し送り及び北海道支部現地救護対策本部から指示を受け、6月14日までの4日間、医療救護を行った。
派遣月日 | 医 師 | 看護婦長 | 看護婦 | 主事 |
6/11~6/14 4日間 |
白水重尚 | 江上菊代 | 森はつみ/野村繭子 | 由良哲雄・大脇睦彦 |
東海豪雨災害
平成12年9月11日から12日にかけての大雨により愛知県、三重県、岐阜県等各地で堤防の決壊や土砂崩れ等が相次ぎ、死者や負傷者の人的被害の他、床上、床下浸水など多くの被害が発生した。9月13日、日赤愛知県支部からの救護班派遣要請をうけ、医師、看護婦長、看護婦、主事あわせて4名の初動救護班1個班が西枇杷島町に出動した。9月13日から24日までの延べ9日間に、救護班9個班、職員50名が西枇杷島町に派遣され、被災者397名の診療にあたった。
救護班 | 救護班 | 医 師 | 看護婦長 | 看護婦 | 主事 |
第1班 | 9/13 | 白水重尚 | 石川佳世子 | 森山克美 | 辻一人 |
第2班 | 9/14 | 塚川敏行 | 寺西美佐絵 | 坂野智恵子/池上里美 | 遠松哲二/菊池勇人 |
第3班 | 9/15 | 竹澤博人 | 福永節子 | 酒井登茂子/永田真理 | 伊藤義高/渡邊勝 |
第4班 | 9/16 | 犬飼朗博 | 石川佳世子 | 山本えつみ/神尾正子 | 藤川一幸/廣中直彦 |
第5班 | 9/17 | 安藤哲朗 | 赤塚あさ子 | 加藤道子/藤井奈津子 | 鈴木信行/伊藤隆幸 |
第6班 | 9/18 | 中村中 | 小瀬裕美子 | 倉田良子/野村繭子 | 中内利彦/水野純一 |
第7班 | 9/20 | 小林龍彦 | 加藤洋子 | 安藤まり子/湊京子 | 桜井誠/中村泰久 |
第8班 | 9/22 | 稲垣朱美 | 田村秀代 | 田子森和子 | 久野訓義/高橋睦長 |
第9班 | 9/24 | 武田朝美 | 杉浦かずみ | 藤井奈津子 | 大脇睦彦/浅井由樹夫 |
福井豪雨災害
平成16年7月18日から、梅雨前線の活動により福井県北部(嶺北地方)を中心とした豪雨災害が発生しました。これに対して、当病院から巡回診療と心のケアを目的とした救護班が派遣されました。
救護班は、美山町折立公民館の救護所およびその近隣の巡回で、被災によるストレスに起因する体調不調を訴える患者あわせて63名の治療に当たりました。また、井嶋副部長は救護班とは別に、福井市内の救護所で心のケアを実施しました。
《福井豪雨災害救護班》 派遣先:福井県美山町
月日 | 医 師 | 看護副部長 | 看護師長 | 看護師 | 主事 |
7/27~28 | 塚川敏行 | 井嶋廣子 | 福永節子 | 三品夕美子 | 辻一人 |
新潟県中越地震
16年10月23日(土)に新潟県小千谷市を震源とした大規模な地震災害が発生しました。
当院では、日本赤十字社愛知県支部の要請に基づき、救護班を派遣しました。
救護班は2個班派遣され、避難所の巡回診療、心のケアにあたりました。
第一班(10月27日~28日) 小千谷 | ||
第二班(11月2日~4日) 長岡 | ||
期 間 | 医 師 | 看護副部長 | 看護師長 | 看護師 | 主 事 |
10/27~1/28 | 佐藤公治 | 井嶋廣子 | 小瀬裕美子 | 嘉村幸子 | 岩田康雄/高橋達弘 |
11/2~11/4 | 安井敬三 | 加藤洋子 | 松田早苗 | 宇佐美慶子 | 鈴木信行/薗田 誠 |
能登半島地震
能登半島地震に対する被災者救護のため、平成19年4月9日(月)から11日(水)までの間、救護班第3班(医師1名、看護師長2名、看護師2名、主事2名、計6人)を現地に派遣しました。
第3班は、地震発生後の当初に開設された門前会館で、岐阜日赤救護班から業務を引継ぎ、24時体制で被災者救護にあたりました。
救護班 | 期間 | 医師 | 看護師長 | 看護師 | 主事 |
第3班 | 4/9~4/11 | 七里 守 | 青山礼子 | 大渡佳世/伊藤千津子 | 宮原勝彦/伊藤克也 |
平成19年4月4日(水)午前10時30分から当院研修ホールにおいて、報道を通して被災者の方々の状況等をいち早く市民の方々にお知らせするため、救護班第1班および第2班合同の活動報告会を行いました。
当日は、多くの報道機関(テレビ局4局、新聞社2社)から取材申込があり、白子国際救援部長、林消化器内科副部長、松田看護師長、永田看護師長らの活動報告に引き続き、活発な質疑応答がなされました。
救護班 | 期間 | 医師 | 看護師長 | 看護師 | 主事 |
第2班 | 4/1~4/3 | 林 克巳 | 永田ゆかり | 永田真理 山地多美 |
中内利彦 浅井知典 |
平成19年3月25日に発生した能登半島地震による被災者救護のため、27日朝から救護班1個班(医師1名、看護師長1名、看護師2名、主事2名)を現地に派遣しました。被害の大きい輪島市門前町で、金沢日赤救護班から業務を引継ぎ、門前西小学校にて24時間体制で被災者救護にあたり、金沢日赤救護班に業務を引き継ぎ、28日夜に帰院しました。
救護班 | 期間 | 医師 | 看護師長 | 看護師 | 主事 |
第1班 | 3/27~3/28 | 白子順子 | 松田早苗 | 福元由美 佐々木智子 |
木村由人 立川俊彦 |
新潟県中越沖地震
平成19年7月16日(月)午前10時13分ごろ、新潟県上中越沖を震源としたマグニチュード(M)6.8の地震が発生した。
当院からは18日(水)から20日(金)の3日間、救護班第1班(8名)を新潟県柏崎市に派遣し、愛知県支部と合同で救護活動にあたった。
派遣先:宮川コミュニティセンター 新潟県柏崎市
期 間:7/16~7/20
救護班 | 医師 | 看護師長 | 看護師 | 助産師 | 主事 |
第1班 | 石田進 池崎公彦 |
小泉照代 | 白羽裕子 今福嘉英 |
江口美智 | 辻一人 橋本知紀 |
活動報告
7/18(水)07:00
発災後48時間を経て、愛知県支部救護班15名が出動。
・同日14:00
陸路を片道約400キロ、7時間をかけ午後2時、柏崎市の災害対策本部に到着。途中、高速道路が地割れによる通行不能のため一般道を使用。
到着報告後、現地災害対策本部にてブリーフィングを受ける。救護活動場所は柏崎市宮川地区。既に発災直後に愛知県支部によるdERUが稼動しており、そのdERUが活動拠点となった。現地までは約10キロ、さすがに震源地近くともあって、民家・塀の倒壊、道路の地割れは至る所で起きていた。
柏崎刈谷原子力発電所の前を通り、当発電所のすぐ隣にある宮川地区へ移動
・同日15:00~
宮川地区のdERUに到着。前任活動中であった高山赤十字病院から引継ぎを受ける。主な活動場所は5箇所。当dERU、宮川コミュニティセンター、椎谷コミュニティセンター、大湊コミュニティセンター、宮川デイサービスセンター。
引継ぎ終了後、早速救護活動開始。発災後2日間が経過していることもあって、急性期の患者はほとんど見られなかった。午前と午後の2回、4箇所の避難所を訪問。住民に声をかけ、変わりが無いかを確認すると同時に、避難所に来られない住民に対しても、戸別訪問をして無事を確かめることが大きな活動の柱であった。
当地区は、電気は復旧していたものの水道は未だ不通であり、自衛隊の限られた給水に頼るといった状態であった。さらに、エコノミー症候群の防止のため、住民と一緒に体操を実施。首や腕、肩、足を動かすことにより疾病の発生リスクとストレスの軽減を図った。
また、日本赤十字社では当救護班をはじめ、他にも多くの都道府県から救護班が被災地へ駆けつけ救護活動をしていたが、その中、福島赤十字病院が活動していた避難所(刈羽村生涯学習センター「ラピカ」)に、当救護班から応援を出すことになった。7/18夜と7/19午前の2回、医師、看護師、主事の3名を派遣した。
・7/20(金)15:30~
後任の浜松(静岡)、山田(三重)赤十字病院救護班が到着。引継ぎを行い撤収した。
3日間にわたる救護活動で診た住民は延べ93名。詳細は表のとおり。
受診患者数( 7月18~20日 3日間 )
活動場所 | 宮川dERU | 宮川コミュニティーセンター | 大湊コミュニティセンター | 椎谷コミュニティセンター | 宮川デイサービスセンター |
受診者数 | 31名 | 22名 | 22名 | 11名 | 7名 |
岡崎市集中豪雨
平成20年8月29日、愛知県岡崎市で、午前1時から2時までの1時間に降水量が146.5ミリを記録した。
この結果、岡崎市内の広範囲で洪水が発生。29日2時10分、岡崎市は全市域(約14万世帯37万6千人)に避難勧告を出し、県を通じて自衛隊の派遣を要請した。
また、災害救助法の適用に基づき、日本赤十字社愛知県支部から当院へ職員の派遣要請があり、9月1日から3日まで、3人の職員を岡崎市役所へ派遣し、毛布、※緊急セット、安眠セットの配布を行った。
この雨による住宅被害は全壊4棟、半壊1棟、また床上浸水890棟、床下浸水1,610棟で、全体で2,500棟に達した。 (※: 「緊急セット」は、日用品やラジオなど24品目のセット)
救護班 | 月日 | 主事 |
第1班 | 9月1日 | 藤居靖幸 |
第2班 | 9月2日 | 山下勇吉 |
第3班 | 9月3日 | 中島久斗 |
東日本大震災
宮城県石巻市を中心に、被災地域の診療支援と石巻赤十字病院支援などのため、発生初日から救護班15個
班および支援職員を延べ230名派遣。
業務別派遣者 延数(名) | |
DMAT | 5 |
救護班 | 111 |
現場視察 | 4 |
石巻圏合同救護チーム | 4 |
ER支援 | 20 |
病棟支援 | 16 |
薬局支援 | 13 |
事務支援 | 7 |
こころのケア要員 | 22 |
生活用水確保 | 2 |
透析支援 | 3 |
臨床工学支援 | 1 |
医師支援 | 21 |
X線撮影装置設置指導 | 1 |
合計 | 230 |
職種別派遣者 延数(名) | |
医師 | 55 |
看護師 | 97 |
助産師 | 7 |
事務 | 34 |
薬剤師 | 13 |
検査技師 | 9 |
放射線技師 | 6 |
臨床工学技士 | 6 |
理学・作業療法士 | 3 |
合計 | 230 |
熊本地震
熊本市及び益城町を中心に、被災地域の診療支援と熊本赤十字病院支援等のため、発災後から救護班2個班及び支援職員を延べ39名派遣。
派 遣 期 間 | 災 害 名・派 遣 先 | 派遣救護班 |
平成28年5月29日~6月4日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
こころのケア要員 |
平成28年5月24日~30日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
「こころのケアコーディネートチーム」 |
平成28年5月23日~6月6日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
病院支援(看護師) |
平成28年5月11日~25日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
病院支援(看護師) |
平成28年5月7日~13日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
病院支援(医師・看護師) |
平成28年5月3日~9日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
病院支援(医師・看護師) |
平成28年5月1日~6日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
第2班(主事) |
平成28年5月1日~5日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
第2班(医師・看護師) |
平成28年4月29日~5月5日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
病院支援(医師・看護師) |
平成28年4月25日~5月1日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
病院支援(医師・看護師) |
平成28年4月23日~30日 | 熊本地震 日赤熊本県支部 |
「合同調整本部コーディネートチーム」 |
平成28年4月20日~5月9日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
病院支援コーディネーター |
平成28年4月18日~21日 | 熊本地震 熊本県阿蘇医療センター |
DMAT |
平成28年4月16日~20日 | 熊本地震 熊本県熊本赤十字病院 |
第2班 |
伊勢志摩サミット
平成28年5月に三重県志摩市で開催された主要国首脳会議では、不測の事態に備え、厚生労働省により、医師・看護師ら総勢303人の救急医療体制が配備された。約3万人のマスコミ・警察・警備関係者および一般住民を対象に、救護・災害班が展開され、国際メディアセンター、市立伊勢総合病院、県立志摩病院、町立南伊勢病院に総勢18チーム72名の医療チームが配備された。当院は、町立南伊勢病院に配備された4チームの1つとして、現地で活動した。メンバーは、厚生労働省からの依頼により、日本DMAT隊員で構成した。
《伊勢志摩サミット 救護・災害班》 派遣先:町立南伊勢病院
月日 | 医師 | 医師 | 看護師 | 業務調整員 |
5/24~5/28 | 稲田眞治 | 川浪匡史 | 高井美枝 | 藤本幸士 |
平成30年大阪府北部地震
平成30年6月18日、大阪府北部を震源とする震度6弱の地震が発生し、大阪府内だけで316ヶ所の避難所が開設され、1,708名が避難した。当院からは避難者の肺血栓塞栓症・深部静脈血血栓塞栓症(エコノミークラス症候群)の予防のため、弾性ストッキング678枚(日本静脈学会備蓄品)が日本赤十字社大阪府支部へ届けられた。
月日 | コーディネートスタッフ | |||
6/18~6/19 | 藤本幸士 | 小林穂高 |
平成30年7月豪雨災害
2018年7月、前線と台風7号の影響により、広い範囲で記録的な大雨となった。それにより西日本を中心に洪水、浸水、土砂災害などの甚大な被害が発生した。当院からはコーディネートチームを2班、救護班を2班、こころのケアチームを1班の合計5班、延べ20名を派遣。初期のコーディネートからこころのケアまで、継続的な支援を行った。
《救護班 第1班》
月日 | 医師 | 看護師長 | 看護師 | 看護師 | 主事 | 主事 | 薬剤師 |
7/12~7/16 | 牧野佑斗 | 石黒恵 | 中山望 | 二井喜代子 | 加藤徹 | 柿原祐紀 | 高木裕介 |
《災害医療コーディネートチーム 第1班》
月日 | コーディネーター | コーディネートスタッフ | |||||
7/17~7/21 | 稲田眞治 | 高井三枝 | 池上里美 | 藤本幸士 | 近藤剛史 | 工藤拓哉 |
《こころのケア班》
月日 | 看護副部長 | 看護師長 | 主事 | 主事 | |||
7/27~8/1 | 寺西美佐絵 | 片桐香奈子 | 原祐樹 | 畠山桂吾 |
《災害医療コーディネートチーム 第2班》
月日 | コーディネーター | コーディネートスタッフ | |||||
7/31~8/3 | 稲田眞治 | 稲垣貴成 |
《救護班 第2班》
月日 | 主事 | 主事 | |||||
7月31日 | 田中佑佳 | 太田耕輔 |
令和元年東日本台風
2019年10月、台風19号の影響で千曲川が氾濫し、近隣の地域に浸水など甚大な被害が出た。その状況を受け、発災3日後には当院から災害医療コーディネートチーム(4名1班)を派遣。地域の関係機関と協働して避難所のアセスメントなどの活動を行った。続いて医療救護班を派遣し、避難所等での医療救護活動に加え、こころのケアのニーズを調査するなど、次につなげる活動を行った。
《令和元年東日本台風 災害医療コーディネートチーム》
月日 | コーディネーター | コーディネートスタッフ | |||||
10/15~10/17 | 稲田眞治 | 神原淳一 | 高井三枝 | 畠山桂吾 |
《救護班》派遣場所:長野県長野市穂保地区
月日 | 医師 | 看護師長 | 看護師 | 看護師 | 主事 | 主事 | |
10/20~10/23 | 浅野彰之 | 太田有美 | 舩津昌弘 | 二井喜代子 | 近藤剛史 | 中島久元 |
令和2年7月豪雨災害
2020年7月3日から熊本県を中心とした集中豪雨災害に対し、DMAT事務局の募集に呼応して当院の日本DMAT隊員のうちロジスティックチーム隊員資格を有するもの2名を現地に派遣した。球磨村や芦北地区の調整本部に入り他医療機関からの派遣者と協働して支援チームの活動調整などマネジメント業務にあたった。