世界中で多くの人々が不衛生な水や生活環境、栄養不足のためにいのちや健康を脅かされています。こうした深刻な問題に対して、世界に192社ある各国赤十字・赤新月社は、互いに協力して、人道支援が必要とされる状況を少しでも解消すべく、日々活動しています。
日本赤十字社では、赤十字がもつ世界的ネットワークと知見を活かし、「自然災害への備え」と「疾病の予防」という2つに焦点をあて、世界で最も災害の多発しているアジア・太平洋地域と、保健医療事情が深刻な状況にあるアフリカ地域を重点地域とし、二国間開発協力事業を展開しています。コミュニティ(地域社会)のニーズや脆弱性、そして強みを理解し、そこに暮らす人々を中心に据えてレジリエンス(回復力)を強化することを目指すものです。
日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院は、タンザニア赤十字社難民支援やウガンダ母子保健医療支援、フィリピンやバングラデシュ南部の保健医療支援等に職員を派遣してきました。
フィリピン保健医療支援事業
私はオーロラ州で、主に地域保健ボランティア育成に携わりました。台風などの災害被害を受けやすく厳しい生活環境にあっても、老若男女のボランティア達は「村の人々の健康を守りたい」という熱意にあふれていました。「彼らが5年後、10年後まで活動を続けられ、その活動が実を結ぶように支援したい」と身の引き締まる思いとともに、大きなやりがいを感じる日々でした。私にとって初めての海外派遣でしたが、現地での生活体験と人々との出会いから得られたものは計り知れません。
海外救援へ派遣されていた職員の貴重なインタビューです。実際に何が起きているのか、我々は何をしなければならないのか。実際に赴き、わかることがありました。
スマトラ島沖地震・津波救援活動 第2班 派遣
2005年1月20日~2005年2月17日
日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院の派遣スタッフ | ||||
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チームリーダー | 医師 | 看護師 | 技術要員 | 技術要員 |
石川 清 | 佐藤 公治 | 石川 佳世子 | 浅井 由樹夫 | 礫石 英治 |
第2班は、ERUクリニックの運営に重点をおいて活動するとともに、ムラボ地区にある病院への支援、避難民キャンプでの巡回診療、母子保健、予防接種を行いました。また、孤立したシムルー島での巡回診療を開始しました。
ERUクリニックには、次々と被災者が運ばれた。 |
派遣期間:2014年3月~2015年3月
派遣先:ウガンダ共和国アチョリ地域
ウガンダ北部の村で行われている母子保健事業は、地元の赤十字ボランティアや保健所のみなさんと協力し、赤ちゃんとお母さんの安全なお産を支援して5年目になります。支援活動のひとつとして、「ママバッグ*」と呼んでいる、清潔なお産ができるように必要な物品をセットしたものを、対象となる妊婦さんが保健所に来てお産する際に配布しています。このママバッグ配布は、お産の際、対応が困難なトラブルが発生したときにできるだけ迅速な対処ができるよう、自宅ではなく医療施設となる保健所でのお産を導くことにも役立っています。
(*日赤「産休サンキュープロジェクト」にも支えられています。http://donation.yahoo.co.jp/detail/1301028/を参照いただけたら幸いです。)
しかし、安全なお産は、赤ちゃんを産む場所を保健所に選んだだけでは成立しません。妊娠中、そして妊娠前から、赤ちゃんとお母さんの健康に対する正しい知識と理解が必要で、それを実施することが重要です。母親となる女性だけでなく、家族や地域のみなさんの理解と協力があってこそ成り立つものです。
事業地のあたりは今も、子供は家計を助ける財産で、妻は夫に従順が良いという考えが見受けられます。そして農繁期で得た収入を飲み代で使いきってしまうような男性もいます。このような環境のなか、どのようにして知識の普及と実践行動を支援しているのでしょうか。
事業地区には80人のボランティアがいます。妊婦さんの個別家庭訪問だけでなく、保健所を訪れた人に対して、産前健診の意義や妊娠中の危険な兆候、母乳育児や栄養、そして、夫の付き添いの重要性を伝えています。特に、男性を周産期に巻き込むことで、母体保護活動の推進をねらっています。
ある保健所を訪問したとき、前回のお産までは健診も受けず自宅で出産をしていた女性が、今回4人目のときには夫と一緒に保健所に出向いて出産し、今後の家族計画についても相談ができているとの話を本人から聞きました。ボランティアの地道な積み重ねの成果を感じた場面のひとつとなりました。
派遣期間:2013年3月~5月
派遣先:イラク共和国アルビル県
私は2014年3月1日から4月30日まで、イラク北部のクルド人自治区アルビル県にあるEmergency Management Center(以下EMC)という戦傷外科病院で戦傷外傷患者の麻酔及び術後の管理を行いました。本事業の目的は現在日本では経験する機会が少ない戦傷外科を現場で経験し、海外の医療事情を理解することにより、将来紛争地等で国際的に活躍できる人材の育成です。病院は3部屋の手術室と7床のICUを含めて入院ベッドが48床あります。医師は8名(外科医6名,麻酔科医2名)が常勤しています。
各手術室に麻酔器が配置されており、シリンジポンプも使用可能でした。しかし、日本と違い麻酔薬の種類が限られ、吸入麻酔薬はハロセンを使用していました。気道確保、呼吸・循環管理のための器具は基本的なものしか無く、普段の麻酔には十分でしたが、挿管困難などの緊急事態が起きた時には不十分と感じました。また現地では麻酔看護師がおり、麻酔看護師は麻酔科医の指示のもと麻酔薬を投与し、麻酔導入の介助や麻酔維持を行っていました。
滞在期間中,182 例(戦傷関連が114 例)の手術があり、十分に戦傷外科の治療方針及び管理を理解することができました。今回の派遣は私にとって初めての海外派遣でしたが、今までの国内の研修や出発前のブリーフィングのおかげで安全に心身ともに健康で過ごすことができました。私は国際医療救援を志して当院へ初期研修医として入職し、5年目で海外の実地研修に行かせていただき本当に感謝しています。今後はさらに麻酔科医としての臨床力を磨き、戦傷外科でのミッションに備えて頑張っていきたいです。
派遣期間:2015年6月~7月
派遣先:ネパール連邦民主共和国シンデュルパルチョール郡メラムチ村
2015年4月25日にネパール共和国中央部で発生した地震は、8,600人以上の犠牲者、80万人以上の方々が被災しました。基礎保健・医療型緊急救援ユニット(以下、ERU)の第2班管理要員として6月初めから1か月半ネパール共和国シンドゥルパルチョーク郡メラムチ村で活動しました。現地では、診療所の支援、巡回診療やこころのケアなど被災者へ直接治療やケアを行う活動の他に、地域の基礎保健力を高めるためのコミュニティーヘルス研修会などの活動が展開されました。
はじめての派遣である私はERUチームの一員として「できる事は何でもやろう」と現地に入りました。医師や看護師などの医療スタッフは被災者の方々に医療を提供する。そして管理要員は医療スタッフが医療を提供できる環境を整える事に力を注ぎました。現地スタッフの人事管理、前渡金(事業費)、車両運行、通信機器の管理などを中心に行いましたが、時にはコミュニティーヘルスの講習会で赤十字救急法の一部を現地の方々へ指導し、ERU撤収後の地域の基礎保健力向上に関わることが出来ました。
7月に入るとERUチームの撤収する目途を立てるなかで、我々の活動に協力してくれている現地スタッフたちにも撤収のスケジュールを伝え、残りの期間活動をともにしてくれるか面接を全員と行いました。その時一人のスタッフが「赤十字の活動には本当に感謝している。この村の人々そしてネパールの人々にとって赤十字の活動は大きな支えだ。だから、私は体が動く限りあなたたちと活動をともにする。」赤十字の活動はこのような現地スタッフの協力なくしては活動できません。ERUの活動は、赤十字のスタッフだけでなく、現地スタッフも含めてチームだと感じた瞬間でした。
派遣期間:2015年4月~6月
派遣先:ネパール連邦民主共和国シンデュルパルチョール郡メラムチ村
2015年4月25日ネパールでマグニチュード7.8の地震が発生、多くの死者・負傷者を出し、家屋の損壊により多くの人が家を失うなどの甚大な被害をもたらしました。 この地震被害に対応するため、日本赤十字社(日赤)では基礎保健ERU(緊急対応ユニット)を現地へ派遣しました。私は4月30日からの約6週間の期間、日赤ERU第1班で放射線技師・管理要員としてシンデュルパルチョール郡メラムチ村の診療所での地震被災者への医療支援活動を行いました。
メラムチ村はカトマンズからは車で3時間の山岳地帯に位置しており、この地域一帯の医療保健を担っているのが活動した診療所でした。今回の地震では家屋の崩壊などにより怪我をした人が多く、骨折の診断のため日本から持ち込んだX線撮影装置を使用しました。活動開始当初は近隣で活動している他国医療チームからの依頼によるレントゲンも含め、20-25件の撮影をしていました。医療へのアクセスの悪い現地では地震から2週間が経過してから初めてX線撮影をし、骨折がわかるという事例もありました。日本ではCTやMRIが日常的に撮れるという環境で仕事をしていますが、改めて基本であるX線撮影の重要性を感じました。
ERUは医療職だけでなく、管理要員、技術要員、こころのケアや地域保健担当など他職種で構成されており、ERU活動を支えるために日赤の本社職員や他国の赤十字のスタッフも活動をしています。そして言葉も文化も異なる場所では現地のスタッフが欠かせません。今回も通訳だけでなく多くの場面でネパール人のスタッフが活躍していました。活動中には資機材の不足や生活環境など困難もありましたが、全員が被災者を救いたいという目標をもって協力しあう時間からは学ぶことがとても多かったです。